大板山たたら製鉄遺跡の全容
絵巻で見られる、たたら操業の様子が画かれた有名な絵図です。
村下(技師長)と呼ばれる人が原料の砂鉄を炉に撒いています。交互に入れる炭を準備している炭坂(副技師長)と呼ばれる人もいます。
鞴を踏んでいる人は番子と呼ばれていました。
鞴で炉底に風を送って炭を燃焼させて炉の温度を千数百度の高温にし、砂鉄(鉄の酸化物)に一酸化炭素による還元反応を起こさせて鉄を生成しています。
炉底から流れ出ているものはノロと呼ばれる鉄と不純物が混じったもので、一種の精錬が行われています。作業は3日3晩~4日間連続して行われました。
タブレットで当時の建物の様子を現地に合わせてご覧頂けます。
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大板山たたら製鉄遺跡は、江戸時代中頃から明治初期まで操業された石見系の「近世たたら」の遺跡で、萩藩の重要な鉄材の供給基地でした。
萩藩最初の洋式軍艦「丙辰丸」の建造にも使われ、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として登録されました。
操業の中心的遺構である高殿をはじめ、元小屋、砂鉄洗い場、鉄池などの遺構をフルセットで見ることの出来る全国的にも貴重な遺構群です。